キャプテンストライダム『ベストロリー』SPECIAL PAGE

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「ベストロリー」ライナーノーツ
 キャプテンストライダムが2010年2月3日(節)[※1]に活動休止を発表した。デビュー前から時代の空気を読んでいるのか読んでいないのかよくわからないキテレツかつシュールかつポップかつ泥臭いオーラを全身から醸し出し、同世代の爽やかなギターロックバンドたち[※2]とは明らかに一線を画す存在感で異彩(異臭)を放ち続けてきた3人は、結成から11年目にマイクとピック[※3]とスティックをひとまず置いた。必然的に、2009年10月11日にHEAVEN'S ROCK 宇都宮 VJ-2で開催された“RADIO BERRY ベリテンライブ2009 #8”が彼らのラストライブとなった。あの日、永友は「すぐまた新作を作って宇都宮に戻ってきます!」とステージで叫んでいたが、それは当面叶わぬこととなった。聖也さんの嘘つき! [※4] と毒づきながら、彼らの歴史を振り返ってみたい。

 2002年2月3日(節)にリリースした自主制作盤『ノーテンフラワー』辺りから、キャプスト[※5]はその活動を活発化させる。4年近く勤めた会社を辞めた永友がものすごい気合いを入れて録った同作は、松本隆主催のレーベル“風待レコード”からデビューするきっかけになった。収録されていたのは、初期キャプストの特異かつ唯一無二の気持ち悪い個性を象徴する代表曲「マウンテン・ア・ゴーゴー」である。
 「マウンテン・ア・ゴーゴー」は名曲だ。“ランランランスがホームラン”[※6]という名フレーズが音楽ファンを中心に物議を醸し、「ありえない歌詞を歌ってる変なギターロックバンドが居る」と話題になった。永友が面白がって書いたという歌詞は、同曲が持つ普遍的なメロディとスケール感溢れるバンドサウンドと三つ巴的に絡まり合って程良く発酵し、パイロットソングとなった。
 キャプストを語る上では初期の代表曲「肉屋の娘」も外せない。栃木県塩谷郡高根沢町に実在するミートショップ・こしみず[※7]という、肉とギターとオードブルの店の店員・モモヨさんをモデルにして書かれたアッパーなこの曲は、バンドの初期衝動的なエネルギーが満ち溢れており、ライブでも幾度と無く我々を興奮&熱狂させてきた。
 自主制作盤『ノーテンフラワー』が松本隆の目に(耳に)止まったことで、3人は人生の転機を迎える。自主制作盤ながら「マウンテン・ア・ゴーゴー」「舟」「ブッコロリー」というキャプスト節全開の3曲が収録されていた同作は、名伯楽・松本隆の腰を上げさせるに足る大きな可能性を秘めていたのだ。2003年9月にはバンド初となる全国流通盤の1stシングル『マウンテン・ア・ゴーゴー』、そして2003年11月には1stアルバム『ブッコロリー』と立て続けに発表。宮崎と熊本と秋田出身の3人が栃木の片田舎で出会い、突然変異的に生まれたキャプテンストライダムというバンドは、遂に全国デビューを果たしたのである。
 シーンに登場したばかりの彼らは、シュールでキテレツなその世界観に注目されがちだった。実際、1stアルバム『ブッコロリー』に収録されている「犬の生活」は永友が酔っぱらったまま眠ってしまい、朝起きたらラジカセに録音されていたという、成り立ち自体が謎に包まれた楽曲だし、アルバムタイトルにもなっている「ブッコロリー」に至っては歌詞が“才能無いから芽が出ない”のみという、大きな志を持って世に羽ばたこうとしている若きアーティストにあるまじき刹那感というか、無謀なほどのミステリアス感を帯びていた。ミステリアスな男性は女性にモテる[※8]というのは使い古された言葉だが、シーンに登場したばかりのキャプストはまさにミステリアスな存在だった。見た目は至って普通…というか地味なのに、音を合わせたかと思えばミステリアス、歌ったと思えばミステリアス、MCでしゃべる内容もミステリアス[※9]。非常に珍妙で興味深い存在だった。
 しかし音楽性は高かった。キテレツな楽曲だけでなく、彼らは初期から名バラードと言える楽曲も数多く生み出している。その代表は「サンドバッグの夜」。“ランランランスがホームラン”とノー天気に歌っている傍ら、この曲では“嘘でもいいから僕を抱きしめて/よくある言葉で愛を囁いて/だって消えそうだよ 僕は消えそうだよ”などとクサい歌詞を、ミドルでメロウなサウンドに乗せてしゃあしゃあと歌っている。その辺りが当時から食えない3人だった。
 1stアルバム『ブッコロリー』から約1年。キャプストは2ndシングル『マウンテン・ア・ゴーゴー・ツー』で風待レコードとSony Musicによるコラボリリース展開が始まる。「テレビアニメ『NARUTO』のエンディングテーマにしたい」という番組スタッフからの要請によりふざけた歌詞を少しだけ修正した「マウンテン・ア・ゴーゴー・ツー」、永友の小学生時代の同級生・ナオコちゃんへの思いを歌ったという「ノーテンフラワー」[※10]、そして「ヤルキレス」のライブテイクという3曲が収められた同シングル。タイアップ曲なのに売れる気があるのか無いのかよくわからない彼らの姿勢は非常にショッキングだったが、それが逆に好感を持てた。
 「マウンテン・ア・ゴーゴー・ツー」という振り切れた楽曲でシーンに波紋を呼んだ後、キャプストは2005年3月に2ndシングル『流星オールナイト』を発表する。それまでのキテレツモードとは打って変わり、「流星オールナイト」はストレートなポップネスで我々の度肝を抜いた。普遍的な響きを持つメロディと、「宮崎の日南海岸をバイクで走ってて、カーブを曲がりきった瞬間に一気に海がバッと広がって光が反射したようなアレンジにしたい。走ったことないですけど」[※11]という永友のイメージを具現化した同曲のアレンジ。そのポピュラリティは、「僕たち今まではオモシロ半分で適当に曲を書いてきましたけど、実はやれば出来る子なんですよ」という彼らの宣言とも受け取れる[※12]。音楽家としての才能を垣間見た瞬間だった。
 2ndシングル『流星オールナイト』がリリースされた頃、名古屋のライブ[※13]である新曲が披露された。その曲は「キミトベ」。完成形のアレンジまでは至ってなかったものの、その日のライブでは代表曲「マウンテン・ア・ゴーゴー・ツー」よりも反応が良かったという。「キミトベ」は80年代チックでアッパー&ダンサブルなサウンドが印象的なキラーナンバーで、後日、客が両腕を挙げて左右に振りながらジャンプして大盛り上がりするライブ定番曲へと成長を遂げる。
 余談だが、「キミトベ」には永友がイメージした主人公が存在する。その名も“オイドン”。九州から東京に出てきたオイドンは、大都会に違和感を覚えつつも自分のスタンスを貫き通して真っ直ぐに立っている。彼の姿勢は、キャプストというバンドの立ち位置やスタンスを3人に改めて気づかせるきっかけともなった。当時の永友は「なるべくたくさんの人に届くようにとか、いろんな人を感動させようと試行錯誤するんじゃなくて、限定してもいいから“君が好きだ!”と言えることの方が突き刺さる。そういうことを自分たちなりのリアリティでやれるということの方がポップなんじゃないか」と語っている。そういう想いの延長線上で作られたのが2ndアルバム『108DREAMS』である。
 アルバム『108DREAMS』の先行シングルとしてリリースされた「悲しみのシミかな」は、キャプストの中でもかなりポップな部類の楽曲と言える。哀愁感すら感じさせるキラキラしたアレンジが、同曲の緩やかかつ切ない歌メロと絡まり、心にグッと染み込んでくる。
 しかし、2ndアルバム『108DREAMS』はポップ一辺倒ではない。グルーヴ感満載の「サイボーグ」[※14]や土着的なうねりを持った「GOOD HARVEST」、かと思えば大人の色気が全開の「十五夜」など音楽的にもバラエティに富んでいる。前アルバムから約2年振り、キャプストというバンドが持つ様々な要素をそれぞれの曲で思いっ切り突き進んだ結果、ポップかつ非常にエッヂィなアルバムが完成したのだ。
 アルバムツアー“DREAM HUNTING TOUR”は、直前に出演したイベント“NEW BREEZE 2006 at 大阪城野音”の勢い[※15]のまま突入し、全国11箇所を大盛況に納めた。そして彼らは、ツアーの興奮も醒めやらぬ2006年6月、6枚目となるシングル『風船ガム』をリリースする。
 6thシングル『風船ガム』は、同年に発表したCDの中でも非常に重要な位置付けの作品である。アルバムの次にリリースする作品は新たにバンドが進んでいく方向を示すという点、テレビアニメ『銀魂-ぎんたま-』のエンディングテーマというタイアップ、松本隆による作詞など、外的要因も含む様々な条件やプレッシャーを、3人は同作の制作で貪欲にむさぼった。その結果、TVヴァージョンは打ち込みによるテイク、そしてシングルはロック感溢れるバンドヴァージョンという2つのテイクで「風船ガム」を完成させた[※16]。“とにかく何でもやってみる”という姿勢はキャプストが大切にしていたコンセプトのひとつであるが、ミュージシャンとしてひとつひとつの壁を自らの手でぶち破っていく彼らのロック道は見ていて痛快だった。
 この頃、永友は考えていた。「このメンバーで5年ほどやってきて、バンドとしてはそろそろ個性がハッキリしてくる時期だ。そういう意味でも、次の作品は自分たちに何が出来るのかをはっきりと打ち出していくモノにしなくてはいけない」と。おもしろおかしくキャッキャ言いながら音楽を始め、それなりの経験を積んできたキャプストに本当の意味での“自我”が芽生え始めたのかもしれない。キャプスト、第二次性徴期に突入である。
 自分たちの個性は何かと考えた末、彼らがたどり着いた結論は“ライブのときにみんなで大合唱出来る歌”ということだった。加えて、以前から大好きだったというAC/DCのビリビリ感にインスパイアされ[※17]、スケール感のデカいスタジアムロックナンバー「恋するフレミング」(7thシングル)を完成させる。並行して3ヶ月連続マンスリーワンマンライブ[※18]を敢行。音源だけを時系列で聴いていくとキャプストはどんどんポップになってきている印象があるが、対してライブはどんどん骨太感を増している。この3ヶ月連続ライブでも、エンタテインメント性を味付けにしながらロックバンドのダイナミズムが溢れるステージを展開。第二次性徴期を経た彼らは、男臭いロックバンドとして個性(と体毛)をより濃くしていった。
 3ヶ月連続マンスリーワンマンライブは、興行的な側面だけではなく、次にリリースするアルバム制作に対する相乗効果という狙いもあった。並行していたアルバム制作は、敢えてモードを切り替えることなく、ライブに対するモチベーションをそのまま導入して進められた。その結果、2007年2月には8thシングル『LONE STAR』が、そして続く3月には3rdアルバム『BAN BAN BAN』がリリースされることとなった。
 “ライブに負けない音楽を作品でも作る”というテーマの下、プロデューサー久保田光太郎氏と共に作り上げたシングル曲「LONE STAR」。デモを聴いた梅田が「リフは速いし、とにかくノレる」と直感したように、同曲はキャプストのライブで感じることが出来る疾走感+パワー感で圧倒するキラーチューンだ[※19]
 そして3rdアルバム『BAN BAN BAN』がリリースされ、直後に渋谷公会堂[※20]ワンマンライブ“BIG BAN”開催が開催された。永友にとって渋谷公会堂は特別な場所である。大学を卒業してニート生活を送っていた頃、彼は奥田民生のライブを渋谷公会堂で目にし、「こうしちゃおれん!」と奮起して就職した。要するに永友は奥田民生の音楽から前に進む力を得たのだが、そういった背景もありつつ、それまで以上に様々なチャレンジを繰り返して完成させた3rdアルバム『BAN BAN BAN』のリリース直後ということもあり、渋谷公会堂ワンマンライブ“BIG BAN”はキャプストにとってもファンにとってもメモリアル性の高いライブとなった。
 “ライブに負けない音楽を作品でも作る”というテーマがあったとは言え、それまで彼らがリリースしてきた2枚のアルバムよろしく、3rdアルバム『BAN BAN BAN』も非常にバラエティに富んでいて名曲揃い。前述した「恋するフレミング」や「LONE STAR」などのライブキラーチューンはもちろんのこと、菊住が「このアルバムではいちばん好きな曲です。こんなこと自分自身で言っていいのかどうかわかんないですけど」[※21]と言う「ケムリマン」や、その時点でのバンドの心境を綴った「長い坂の登る途中」など、ライブでグッと引き込まれる名曲も揃っている。そのアルバムを引っさげて開催された渋谷公会堂ワンマンライブ“BIG BAN”は、当然素晴らしいステージとなった。3人だけではなく、客席で観ていた者も含めてその場に居合わせた全員が、それぞれ“自分とキャプストの思い出”を持ち寄って開催されたワンマンライブ。演奏の出来/不出来などの次元を超越したドラマチックな一夜だった[※22]
 3rdアルバム、そして渋谷公会堂でのワンマンライブ。その2つの大きな山を超えたキャプストは燃え尽き症候群に陥っていた。「ワンマンとツアーが終わった時、次になにをやるかっていうことが考えられなかった。それまでと同じやり方で曲を書いてリハーサルとかしてみたんですけど、全然納得いかなくてダメでした。こんなことやってても全然ワクワクしない」と永友は当時の心境を語る。
 彼らは新たな刺激を得るためにリハスタでのバンド練習を封印[※23]、永友の自宅で曲作り合宿に突入する。曲作りを重ねる中、もう1度自らを見つめ直す。“ロックとは何か?”“なぜ自分たちは音楽をやっているのか?”という自問を繰り返した結果、“とにかく何か爆発したい”という衝動に辿り着いた。そして生まれたのが9thシングル『わがままチャック』。同作には新曲として「わがままチャック」[※24]と「CHERRY BOY」の2曲(+「帰れやしないぜ」のライブテイク)が収録されているが、どちらもシンプルで骨太で衝動的なロックンロール。歌詞についても最初の段階からほとんど修正せず、一瞬の集中力で生まれた形を例え少し歪に映ったとしてもそのまま楽曲にしている。剥き出しのロックサウンドと力強い言葉からは、次のステージへと飛び立とうとしている彼らの強い意志を感じることが出来る。
 「バンドは常に進化し続ける生き物だ」とはよく聞く言葉であるが、キャプストを見ているとつくづくそう思う。彼らが2008年4月にリリースした10thシングル『人間ナニモノ!?』はその極み。この頃の流れとして、サウンド的にはどんどん剥き出しになり、そして視覚的にはどんどんぶっ壊れ始めていた[※25]3人は、怒りにも近いイライラした感情を同曲で爆発させる。しかし、ただ単にドロドロした負の感情をぶちまけただけの曲ではない。永友は語る。「僕はやっぱり音楽を聴くと前向きになれるんですよ。どんなにネガティブなことを歌っている曲でも、自分の心のどこかに引っ掛かってくると、それによってネガティブになったりとか死にたいと思ったりするようなことは絶対にない。がんばろうと思えるんですよね」と。奥田民生のライブを観て就職を決意した経験がある永友は、自らの音楽でそれをやろうとした。“根元的にポジティブなパワーを持った音楽を作りたい”という想いは、後にリリースされるアルバムへと繋がっていく。
 2008年6月、キャプストは4thアルバム『音楽には希望がある』を発表する。これまでの歩みを振り返れば一目瞭然であるが、キャプストは(特に永友は)頭で色々と考えるタイプの人間なので、“根元的にポジティブなパワーを持った音楽を作りたい”というテーマは簡単にクリア出来るものではない。しかしそんな時、NYでSteve Jordanと共にレコーディングするという話が舞い込み[※26]、それがバンドにとって良い作用をもたらした。「“テーマをどうやって音楽に落とし込もうか?”と考える以前に、国や文化も違う人たちと一緒にいい演奏が出来たときって一発でみんな笑顔になるんですよ。そういうことを集中しながら体感出来た」と永友は後に語り、梅田も「最初は戸惑いもあったけど、いざセッションが始まって1回火が点いちゃったらもう止まらない感じ。制作に入ったら後は楽しんでた」と述べている。
 キャプストはアルバム毎に様々なテーマを持って取り組んできた。1stアルバム『ブッコロリー』はマニアックでシュールな自分の世界観を世に出して反応を楽しみ、2ndアルバム『108DREAMS』では自分たちが考え得る120%のポップミュージックを作り上げた。3rdアルバム『BAN BAN BAN』ではライブと音源のギャップを埋めようと突き詰め、そして4thアルバム『音楽には希望がある』では音楽が持つ力を信じた。音楽によって人生の道を大きく外れ、音楽によって生き方を変えられた音楽バカが、自らが信じたモノを突き詰めたのだ。ある意味、4thアルバム『音楽には希望がある』は最も等身大のアルバムと言える。
 しかし、自ら持ち得るモノを120%作品に詰め込むが故に、アルバムを作るたびに真っ白になってきた彼ら。案の定、4thアルバム『音楽には希望がある』をリリースした後もまた産みの苦しみに突入する。2008年夏、曲を作りながらも“前作を超えていない”というフラストレーションは溜まっていく。「中途半端にやるんだったら解散したっていいくらいの感じになっていきましたね」と永友は当時を振り返るが[※27]、3人はそれほどの覚悟で次に進むべきステージを模索した。バンドでのリハを中断して1ヶ月ほどメンバー個々が考える時間を設け、再開した3人が立ち返ったのは「マウンテン・ア・ゴーゴー」や「キミトベ」などに代表される、全方位的に突き抜けていてエネルギーに満ち溢れるバンドの原点。「本当に今の自分たちがやりたいことをしよう。もう1度デビュー曲を作ろう。自分たちがワクワク出来ることを探そう」という初期衝動的な想いから、“ディスコ”というキーワードが浮かび上がった。
 2009年5月、キャプストは11枚目のシングル『ブギーナイト・フィーバー』でネクストステージの幕を開ける。3人が“キャプテンストライダムというバンドでやりたかったこと”は、“音楽で踊らせること”だった。ステージに立って楽器を鳴らし、3人が音と音をぶつけ合う。そこで飛び散る火花が踊っているオーディエンスを照らし出す。まるで盆踊りのような光景。なにがなんだかわからないのに、なぜか身体を突き動かされる。キャプストの原点は、ポップでキテレツでブッコロリーな、わけのわからないエネルギーに溢れた音楽。初めて彼らを観たときの衝撃を、キャプストは再び我々に与えてくれた。
 そして2010年2月3日(節)、キャプストはオフィシャルHPで活動休止を発表した。アルバムリリースをバンド活動に於ける1つのタームとするならば、バンドとして5回目のターム、“音楽で踊らせること”を追求しようとした長い坂の登る途中で彼らは歩みを止めた。彼らと一緒に長い坂を登ってきたと思っていた僕[※28]は、正直に言うと活動休止を肯定出来なかった。肯定出来なかったというかちょっと怒ってすらいたのだが、ヒストリーアルバム『ベストロリー』に収録されている新録「泣いていいのさ」を聴いたとき、その事実がスッと自分の中に入ってきた。事実として受け入れることが出来た。
 永友聖也はいい意味でも悪い意味でも努力家で常識的な大人である。常にバンドのことを考え、周りに気をつかい、入念に思考をめぐらし、バンドの代表として行動し、額から大粒の汗を垂らし大きな口を開けて歌ってきた。そんなモノがあるかどうかわからないが、“わがままでマイペースで破天荒”というロックバンドの理想的なヴォーカル像からはかけ離れている。そんな永友が、初めてミニマルな心情を吐露した「泣いていいのさ」は、キャプストの数多い楽曲の中でも特にシンプルな部類に入る。この曲は、バンドとして初めてダビングもコーラスも無いシンプルなテイクで今回完成した。
 「なぜ最後にこの楽曲を新録したのか?」という問いに、永友は「最後って言っても最後のつもりはないけど、3人で“僕たちはこういう音です”というのをシンプルに出せる曲にしたかった。“かっこいいよね”とか“凝ってるよね”という曲じゃなくて、単純に“いい曲だね”っていう曲を選んだんです」と答えてくれた。僕は、この曲に現時点の3人の想いが全て詰まっているということを理解した。

 永友くん、梅ちゃん、守代司くん、どうもありがとう。
 キャプテンストライダム、素晴らしい音楽をありがとう。
 またね。



2010年2月28日
JUNGLE★LIFE編集部 山中毅[※29]
【註釈】
※1:節分の日。
永友聖也のモスト・フェイバリット・イベント。

※2:セカイイチ、フジファブリック、音速ライン、シュノーケルなど。

※3:梅田の指弾きはセクシーだ。

※4:しずかちゃんの「のび太さんのエッチ!」のイントネーションで。

※5:キャプテンストライダムの略。他にもキャプテン、ストライダム、キム、CTSRなど、ファンから様々な略し方をされた。バンド名の由来はマンガ『グラップラー刃牙』に登場する名脇役の名前から。

※6:リチャード・ランセロッティ。87-88年に広島東洋カープで活躍した助っ人外国人選手。ホームランか三振、という博打性の高い打者で人気を博した。87年には打率.218ながらホームランを39本も打ち、本塁打王のタイトルを獲得した。

※7:ミートショップ・こしみず:http://plaza.harmonix.ne.jp/~kosimizu/

※8:筆者自身はミステリアスではないので確証はない。

※9:MCではカレーに対する思い入れや節分に対する思い入れなど、音楽にはまったく関係ないことをよくしゃべる。永友のカレー好きは有名だが、きっかけは高校の時に部長を務めた哲学研究会(テッケン)の顧問に「哲学と言えばインドだ」と言われて作ったインドカレー。他にもどぶろくなどを作っていたらしい。

※10:永友は小〜中学校の同級生でバット工場の娘だったナオコちゃんを愛していた。中学卒業の時、自分で編集したウルトラマンの主題歌のベスト盤テープをナオコちゃんにプレゼントした。

※11:「流星オールナイト」で浦清英氏が弾いたローズピアノは、もんた&ブラザーズの「ダンシング・オールナイト」でも使われたというビンテージな逸品。

※12:初期の頃に作った曲は永友が好きなように書いた歌詞が多かったが、CDをリリースするようになって意外とリスナーが真面目に反応してくれたりしたことで、ちょっと自己嫌悪に陥った時期もあったらしい。対して「流星オールナイト」はそれまででいちばん曲作りに時間をかけた。歌詞は何度も書き直し、松本隆氏にもアドバイスを貰いながら完成させた。ちゃんとした。

※13:「キミトベ」を初めてライブで演奏したのは2005年3月16日。

※14:男女の微妙に冷えた関係性を“サイボーグ”という比喩で表現した名曲。梅田曰く、「この曲ではサイボーグ感を出したかった」とのこと。

※15:イベント“NEW BREEZE 2006 at 大阪城野音”の当日はずっと雨が降っていたにも関わらず客のテンションが異様に高く、その歓声に感動したキャプストもテンションが上がり、全てを解き放ったようなライブとなった。テンションが上がった永友はコール&レスポンスで野音コールをしようとしたが、スペルを間違えて“Y・O・A・N”コールとなった。

※16:シングル『風船ガム』リリース直後の2006年6月9日、キャプストはTV番組『ミュージックステーション』にも出演。前日、急遽永友の声が出なくなるという事件が起こるも、医者に行きつつ薬を飲んだり点滴を打ったりしてなんとか凌いだ。宇都宮時代、ライブのリハ後に磯辺餅を食べたら声が超ハスキーになったという“磯辺餅ガラガラ事件”は有名な逸話だが、声が出なくなったのはこの時が初めて。

※17:当時、永友は「2年経ったら日本のロックシーンはみんなこうなってるんじゃないか」と発言した。奇しくも2年後となる2008年辺りの音楽シーンではメタルやハードロックを採り入れた激情型ロックバンドがブレイク。恐るべし永友聖也、先見の明である。

※18:恵比寿LIQUIDROOMにて2006年9?11月の3ヶ月連続で行われたワンマンライブ。それぞれEAGLE NIGHT、SHARK NIGHT、PANTHER NIGHTと名付けられた。イベント名は特撮テレビドラマ『太陽戦隊サンバルカン』の主人公の名前(バルイーグル、バルシャーク、バルパンサー)から。

※19:これは内緒だが、「LONE STAR」の2番Aメロ“靴底をすり減らして”という部分のメロディはチャルメラをフィーチャーしている。

※20:2006年10月から5年の間、正式名称は“渋谷C.C.Lemonホール”となっている。

※21:言っている。

※22:この日のライブ、「長い坂の登る途中」のときに永友が泣いていたという噂がネット上でまことしやかに流れたが、当時の本人は否定。そして2010年2月、今回のヒストリーアルバム『ベストロリー』リリースに際してもう1度問いただしたところ、「それはご想像にお任せします」と永友は笑った。最後まで食えない男である。

※23:キャプストは自らに様々なハードルや刺激を課し、それに対する反発で新たなモチベーションを上げてきたドMバンドである。

※24:9thシングル『わがままチャック』と、その後にリリースされる10thシングル『人間ナニモノ!?』及び4thアルバム『音楽には希望がある』収録曲数曲は、世界一のドラマーSteve JordanのプロデュースによりNYでレコーディングされた。

※25:10thシングル『人間ナニモノ!?』の際の宣伝用アーティスト写真は3人とも頭からキノコを生やした怪しい出で立ちだし、ジャケット写真の永友は前衛的だった。

※26:Steve Jordanは世界一のドラマー。作曲やプロデュース業もこなす。

※27:キャプスト史上最大のピンチだった。

※28:このときの“僕”は、ライターというよりファンとしての目線である。

※29:つたない文章で恐縮ですが、今回ライナーノーツを書かせていただいたことを心から誇りに思います。